top of page
検索

234 慈悲喜捨とは?

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月13日
  • 読了時間: 2分

 間違ったOSである貪瞋痴の代わりに、心に慈悲喜捨を入れると、生き方が変わります。 慈悲喜捨の慈(メッター)は「みんな友達です」という意味です。犬であろうが、猫であろうが仲間であって、友達です。友情で仲間として、他の生命を見る気持ちです。悲(カルナー)というのは、他の生命を助けることです。「苦しんでいるな」と気づいたら「これはいけない、助けなければ」と助けてあげる。これは義務なのです。人が二人いれば、一人には何かしら困っていることがあります。すると、もう一人は自然に、その人のことを助けなくてはいけないのです。利他ですが、大げさに考えることはありません。自然法則です。当たり前のことなのです。赤ちゃんが泣いていたら、自然に抱っこしてあげるでしょう。それと同じです。喜(ムディター)は文字通り「喜び」です。これは嫉妬の反対です。自分以外の人ががん ばっているのを見て「ああよかったねえ」と喜びを感じるのです。そうすると自分の脳に幸福感を司る化学物質が生まれます。捨(ウペッカー) とは、落ち着いて、生命は平等であると知ることです。生命に上下はなく、 一切の区別もなく、差別もなく、生命は一つである、と知るのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《慈しみ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と科学が発見した 「幸せの法則」 - 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす p221】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page