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235 病気で不幸にならないように

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年6月30日
  • 読了時間: 1分

 寝たきりであっても余計な苦しみをつくらずに、死ぬ瞬間まで幸福で明るくいることが、自然の法則による病気に対する、仏教的な立場です。自然の病気は、治すのではなく、乗り越えて、明るく幸福に生きることが大切です。病気を乗り越えるとは、病気によって不幸にならないことなのです。余計な苦しみを味わう必要はありません。そして、いくら歳をとって体が弱くなったとしても、小さい時にあったあの明るいエネルギー、過去ではなく未来を見つめ、今日を力いっぱい生きるエネルギーを消してしまう必要はありません。それは心のエネルギーですから、同じ強さでずっと保ち続けることは、がんばれば誰にでもできるのです。『一分で読むブッダの教え』第4章 命を理解し、老病死を恐れずに生きる《老いと死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【まさか「老病死に勝つ方法」があったとはブッダが説く心と健康の因果法則 (2008年) (改題 「老病死に勝つブッダの智慧 心と健康の因果法則」2017年) p55】

 
 
 

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