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236 猫も犬も気持ちは一緒

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月15日
  • 読了時間: 1分

 一時期、お寺の私のベッドに猫が来て、一緒に寝ていました。私が平等に接するので、猫は「自分が偉い」と思っていました。私のベッドに寝るのはいいのですが、私も寝るのですからね。ちょっと身体が同じ姿勢で痛くなったら、寝返りも打ちます。するとときどき猫が、「邪魔だ」と私に猫パンチをするのです。けっこう痛いのですが、私は何も言いません。なぜならば、相手は「猫」ではなくて、心で通じ合っていて「平等でしょう」という間柄なのです。猫にしてみれば「私が寝ているところに乗りそうになって、あなたは邪魔です」という感じなのです。私は、「これは私のベッドですよ、本当はあなたが邪魔ですよ」と言います。すると猫は「知らない、そんなことは」という顔をします。別に迷惑を掛けるつもりではなくて、猫にしてみれば、やっと対等で犬猫扱いしない人間に出会ったのです。そこで束の間の自由を味わいたいのです。「私たちも生命です」「私たちにも悩み苦しみがあります」「私たちにとって生きることは大変です」という気分を、犬や猫も味わいたいのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《慈しみ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【慈悲の瞑想 (フルバージョン〕 人生を開花させる慈しみ p132】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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