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239 人間は不幸になることを選んでいる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月18日
  • 読了時間: 2分

 人間はこの地球に現れたときから、「幸せになりたい」とずーっと頑張ってきました。自分は幸せになりたいし、できれば周りの人々を幸せにしてあげたいと願っているのです。お医者さんに「あなたは、なぜ医者になったのですか?」と聞けば、「人々を幸せにしてあげたいからです」と答えるでしょう。政治家に同じことを聞けば、「国民を幸せにしてあげた 「いからです」と、やはり答えるでしょう。その結果はどうでしょうか? 残念ながら、誰一人として幸せになっていないのです。その理由は、心が悪に向かって回転するようにできているからなのです。お釈迦様はこのことについて、「生命は幸福になりたいと思って、不幸になることを選んでやっているのだ」とおっしゃっています。不幸になることを選んでやるのであれば、当然不幸になるでしょう。「なぜこれを選んだのですか?」と聞けば、「それを選んだほうが幸せになると思ったからです」という答えが返ってきます。しかし、結果は逆です。この法則から脱出する道を教えられるのはブッダだけです。ですから、生命の中にブッダが現れることは幸福である、と言われています。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《慈しみ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【慈悲の瞑想 (フルバージョン〕 人生を開花させる慈しみ p34】

 
 
 

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