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240 幸福はどこにある?

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年7月5日
  • 読了時間: 1分

 世界中の財産が自分のものになっても、心が落ち着いていなければ少しも幸福ではありません。精神的な安らぎがなければ、お金など何の意味もないのです。自分の家がなくてどこか木の下で寝ていても、あるいは駅の構内で生活していても、心が安らかで何の苛立ちもなく、自然体で空気のように生きていることができるならば、最高の幸福が味わえます。緊張してビクビクしながら生活することこそが不健康で、不幸なのです。ですから、「病気になりたくない、歳をとりたくない」などと、自然の法則に逆らって、どうやっても叶うはずのないことを願うのはやめましょう。「これは私の管轄の問題ではありません」として自然に任せておきましょう。「自然の法則は真実であることを、ありのままに観ておきなさい。そこに幸福がありますよ」とお釈迦様は教えるのです。『一分で読むブッダの教え』第4章 命を理解し、老病死を恐れずに生きる《老いと死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【まさか「老病死に勝つ方法」があったとはブッダが説く心と健康の因果法則 (2008年) (改題 「老病死に勝つブッダの智慧 心と健康の因果法則」2017年) p34】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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