top of page
検索

243 喜びとは平安な心の状態

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月22日
  • 読了時間: 1分

 智慧のある人が味わう「喜び」とは、落ち着いて、リラックスして、何のこともなく平和な心でいられることです。人は悩んでいても、自分は別に悩まずに平和にいられる。人が嫉妬の炎を燃やしていても、自分には嫉妬する原因はないから平穏にいられる。喜びとは、そういう絶対的な平安な心の状態です。ある一つの出来事が起きたら、一人は混乱する。一人は怒る。一人は嫉妬する。一人は感情が舞い上がる。一つの現象にも、反応がいろいろあるでしょう。智慧ある人は、何が起こっても、「ああなるほど。そういうことか」と、見ているだけ。それは、仏教で言う至福感、幸福感です。安定した心の波です。智慧というのは、ちょっと強引にはたらかせないと、現れてこないものです。無常の角度でものごとを見て、無我の角度でものごとを見て、その見方で生きてみようとする。無常、無我の心で行動する。それが、智慧の現れている状態なのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《慈しみ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学第四巻2008年 p31】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page