top of page
検索

245 善行為はみんなでやる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月24日
  • 読了時間: 1分

 一般的に善行為は、一人でやるよりはみんなでやる方が徳が高いのです。ですから、お寺にお花を供えようと持っていっても、そこに誰かいたら、誘って一緒にお供えした方がよいのです。それもちょっとした心のからくりだと思います。自分がすごいお金持ちで、自分一人でお寺でもなんでもつくろうと思ったらできるかもしれませんが、それではもしかしたら、「私が、このお寺をつくったのだ」と、自我意識が強くなるかもしれません。それでは善行為の中の悪業になってしまい、もしそうなると、せっかく善行為をしたのに、その分だけ損になるのです。仏教では、「善行為を自分一人でやるなら、それは徳が少ない。同じ善行為を十人、二十人、百人でやったら、それだけ徳が高い」と考えます。その分だけ自我意識が減って、助け合って、徳を分け合う心に自然に成長できるからです。そのため、誰でも徳が大きい方がいいですから、自分一人でできることでも、みんなを誘って「お花を一緒にお供えしてください」などとやるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《慈しみ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第五巻 業(カルマ) と輪題の分析」 藤本晃氏との共著(2009年) p236】

 
 
 

最新記事

すべて表示
六番目の行道智見清浄:⑦ 省察智paṭisaṅkhā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑦ 省察智paṭisaṅkhā ñāṇa  火事の喩えの続きです。燃えている寝室から脱出したくなるでしょう。しかし、その気持ちになっただけで、脱出成功とは言えません。まだ脱出を実行してもいません。脱出を実行する前に、やらなくてはいけないことがあるのです。それは火事になっている寝室を観察することです。正しく観察しないで脱出を実行すると、死んでしまうかもしれません。窓から逃げれば

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa  自分がいる状況は確実に危険であると分かれば、そこから脱出したくなります。自分の寝ている部屋が火事になってごうごうと炎が上がっていると発見したら、心は瞬時に脱出したいと思います。「きれいな部屋だったのに」「気に入っていたのに」「模様替えしたばかりだったのに」云々とは考えません。この喩えのように、修行者は一切の現象から脱出するべ

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa  一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 
 
 

コメント


bottom of page