top of page
検索

247 時間を無駄にしている場合ではない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年7月12日
  • 読了時間: 1分

 人はだらだらと時間を盗ろうとします。けれども、こちらにも時間はない。だから「早く言いなさい」と言うのです。相手は「なぜそんなに急ぐのですか。私の話はまだ終わっていないでしょう」という気持ちかもしれません。けれど、自分の人生を全体的に見たら、もう残りが少ないのです。だから私はその残りで、まだまだ言っていないたくさんのこと、人類が知らないたくさんのことを言って、人類のために残しておきたいのです。自分の死を感じ、自分が毎日毎日、衰えていくのだとわかると、いても立ってもいられない気持ちになるのです。だから、仕事を頑張るし、親の面倒をみることも頑張る。さっさと結婚して、子供が生まれたら「のんびり落ち着いてはいられない」ということで、やるべきことをてきぱきとこなすのです。『一分で読むブッダの教え』第4章 命を理解し、老病死を恐れずに生きる《老いと死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【出家の覚悟日本を救う仏教からのアプローチ」南直哉氏との共著 (2009 年) p191】

 
 
 

最新記事

すべて表示
無常・苦・無我と解脱の関係

無常・苦・無我と解脱の関係  解脱に達するためには、一切の現象が無常であり苦であり無我であると観察しなくてはいけません。集中力が上がったら、修行者は五番目の道非道智見清浄に入るところから意図的に無常・苦・無我を観察してきました。そのとき、現象は互いに異なる三つの本性を持っているように観えます。さらに修行すると、無常・苦・無我のうち一つの本性だけが心によく分かるようになります。心はその本性にあえて興

 
 
 
自分の修行は完了したのだろうかと、観察する

自分の修行は完了したのだろうかと、観察する  この観察が終わったら、自分の修行は完了したのだろうかと、観察します。まだいくつかの煩悩が残っていること、まだまだ感情が湧きでる可能性があることを発見します。それは残りの煩悩の観察です。  残りの煩悩の観察が、悟りに達してたちまちできるかどうかは分かりません。解脱に達したショックが冷めたところで、再び心を観察するやり方もよいと思います。遅かれ早かれこの観

 
 
 
いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる

いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる  解脱に達することができたのは、釈尊の説かれた観察方法を実践したからです。したがって、苦を乗り越えるためには観察実践が正しい方法であるということになります。心を清らかにするために、魂を浄化するために、真我を体験するために、などなどの目的を設定して、その目的に達するために世の中でいろいろな方法が説かれています。それらはすべて間違いであると、修行者

 
 
 

コメント


bottom of page