top of page
検索

251 幸福と苦しみ、相反して混乱する人生

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月30日
  • 読了時間: 1分

 「どうしても生きていきたい」と言う人は、勘違いしています。その言葉の本当の意味は、「どうしても苦しみたい」ということになるからです。生きることは苦の連続なのですから。つまり、人は「どうしても苦しみたい」と思っているのに、「苦しみが嫌だ。私は幸福になりたいのだ」と言って、実にいろいろなことをしている、ということです。本当は、「幸福になるために、どうしたらよいでしょうか?」という問いの答えは、「生きることはあきらめなさい」ということになります。言い換えれば、「欲を捨てなさい」ということです。この矛盾点をしっかり理解してください。人が「生きていきたい」という思いで、さまざまな欲を追いかけることは「苦しみを追いかけること」なのです。どんどん、どんどん苦しみへ、不幸へ向かうことなのです。つまり、私たちは「幸せになりたい」と思って、まったく相反する行動をとっているのです。服に火がついた人が、その火を消すために燃え盛る炎の中に飛び込むようなものです。ですから人間は、仏道を歩まない限りは幸福にならないのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《慈しみ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【欲ばらないこと 役立つ初期仏教法話13 (サンガ新書018,2011年) p94】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha

観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha  心・心所の説明でadhimokkha 勝結という心所に出会いました。何かを認識するときというのは、心がその対象から離れないで対象にくっついている状態です。この状態でなければ認識することができません。  優れた修行者が経験するadhimokkha という障碍は、心所のadhimokkha とは違います。『清浄道論』では、adhimokkha とはsaddh

 
 
 
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 
観察の汚れ:④ 軽安passaddhi

観察の汚れ:④ 軽安passaddhi  軽安とは、軽いという意味です。落ち着いた、というニュアンスも入っています。真夏に人が道を歩いたとしましょう。暑いし、歩いて身体も疲れているのです。それから、クーラーがついている家に入ります。ソファに座ります。今までの苦しみが消えていきます。落ち着くのです。  ヴィパッサナー修行は重労働です。集中力を保つことも大変です。身体で痛みを感じます。修行がうまく進ま

 
 
 

コメント


bottom of page