top of page
検索

253 真理に従う生き方

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年7月18日
  • 読了時間: 1分

 真理とは主観で行動するのではなく、法則に従うことです。真理というのは主観ではあり ません。たとえば、俗世間では「殺すなかれ」は認めますが、敵に対しては、場合によっては戦争して殺さなくてはならないと思ったりもします。これが世間の正義です。仏教が言うのは、「一切の生命は殺されることを嫌がる」という法則があるのだ、ということです。どんな生命も、何がなんでも殺されたくないのです。殺されることを、とにかく第一に嫌がります。仏教では、「生きる」のは「生命の権利」です。「生命を奪うことは、誰にもできない」というのが法則に従った真理の生き方です。したがって真理に従うならば、「生命を奪うこと」は違法です。だから仏教では「殺すなかれ」なのです。戦争は不可能です。日本でもアメリカでも殺すことは違法ですが、場合によっては仕方がない、ということになっています。仏教では「殺すなかれ」は法則なので、勝手に変えられません。「場合によって、地球は四角い」と言うことはできないのと同じです。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《真理の法則》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【平和の生滅 生存の矛盾を超えて お釈迦さまが教えたこと2, 2006年 p169】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page