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258 苦から苦への引っ越し

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年7月23日
  • 読了時間: 1分

 だれでも生命は「幸福になりたい」と頑張っていますが、結果は違いますね。逆効果なのです。吸う苦を吐くことで消し、吐く苦を吸うことで消すのです。呼吸とはひとつの苦から、別の苦へ移行する以外なにものでもありません。絶えず呼吸することで生命は生きつづける。言い換えれば、絶えず苦を感じつづけることが生きることになるのです。楽なのは苦がなくなることだけです。しかしこの勘違いは人類みながやっているのです。お金がないことで苦しむ人は、お金があったら楽だと思う。お金を苦労して手に入れるなら、お金がないという苦しみが当然消えます。しかしお金があることで新たな苦しみが生まれます。家が狭いと苦を感じる人は広い家に引っ越しする。楽です。しかし広い家は狭かった家よりも苦しみをつくります。家の管理は大変です。家賃は高いのです。がむしゃらに働かなくてはいけなくなります。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《生きることは苦》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【バカの理由 役立つ初期仏教法話12 (サンガ新書045、2)】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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