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259 智慧を開発しなければならない理由

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年7月24日
  • 読了時間: 1分

 命というのは「苦」でできています。苦がなければ生きていられません。どうして呼吸するのかというと、やめてしまうともう、耐えがたい苦しみがあるからです。どうしてご飯を食べるのかというと、ご飯を食べなければ、耐えがたい苦しみで、死んでしまうからです。ですから苦が命をつくって、苦が命を管理して司(つかさど)って、苦のために生きています。苦に生まれて、苦のために生きていて、苦で死んでしまいます、という人生は、普通の人生です。その人生では、決まってものすごく悔しくなり、「そんなはずではない」という生き方で生きています。ですから際限ない悪行為、災禍(さいか)を生み出すという真理もまた、生まれてしまいます。これを破るためには、智慧を開発しなくてはなりません。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《生きることは苦》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【あべこべ感覚 役立つ初期仏教法話7」(サンガ新 022, 2008年) p137】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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