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260 役に立つ人生を

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年9月8日
  • 読了時間: 1分

 役に立たない場合は、存在価値が消えているんです。「誰だって命は尊い」とかそんなのは大嘘で、冗談じゃないです。誰だって、ただ生まれたから生きているし、自然法則によって死にます。それに手を加えることは、誰にも不可能でしょう。だから我々は意図的に生きているあいだ、このシステムの中で役に立つように生きなくてはいけないのです。それは個人の義務です。役に立つか立たないか。役に立たない場合はものすごくつまらなくなっちゃって壊れてしまうのです。私は「仏教的には生きることにはなんの価値もない、無意味だ」と言います。「だから私たちは無理に、強引に価値を作らなくちゃいけない」と。それは可能ですよ。因果法則の世界ですから、条件が変わったら別な現象が現れます。その場その場に現れる新たな条件に応じて、自分の人生を役に立つように改良し続けなくてはいけないのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《老いの生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【浄心への道順 瞑想と覚りをめぐる初期仏教長老と精神科医の対話p181】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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