top of page
検索

262 人生は苦。幸福は苦を乗り越えること

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年8月7日
  • 読了時間: 2分

 その都度その都度、やらなくてはいけないことをやりながら生きているのです。目的があって、その目的を目指して生きているわけではありません。命が自然に流れてゆくのです。しかし、何をして生きていても、生きることは「苦」なのです。お腹がすくことも、満腹になることも、「苦」なのです。仕事があることも、仕事がないことも、「苦」です。独身でいることも、所帯を持つことも、「苦」です。在家生活も「苦」です。私たちのような出家生活も「苦」です。「苦」以外、何もないからこそ、人間が「幸福」を目指すのです。しかし、「これが幸福です」と、具体的に言えないはずです。幸福の経験はないからです。「幸福になる」と思って、実際我々が行っている行為は、「苦をなくすこと」なのです。仕事がないことが「苦」だと思う人は、仕事があることを「幸福」だとするのです。命は短いこと、必ず「死ぬことが「苦」だと思う人は、「不死の境地」が幸福だと考える。この場合、このような境地があるかないかは、我々の経験で確かめることはできません。というわけで、「幸福とは、苦を乗り越えること」だとしたほうが具体的な定義になると思います。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《生きることは苦》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【いまここに生きる智慧―シスターが長老に聞きたかったこと 鈴木秀子 氏との共著 (2007年) p20】

 
 
 

最新記事

すべて表示
いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる

いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる  解脱に達することができたのは、釈尊の説かれた観察方法を実践したからです。したがって、苦を乗り越えるためには観察実践が正しい方法であるということになります。心を清らかにするために、魂を浄化するために、真我を体験するために、などなどの目的を設定して、その目的に達するために世の中でいろいろな方法が説かれています。それらはすべて間違いであると、修行者

 
 
 
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 

コメント


bottom of page