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263 生きることに意味はない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年9月11日
  • 読了時間: 1分

 生きることに意味を探すのは無意味です。意味がないから見つからないのです。しかし、生きていることは確かです。「必ず死ぬ」ということも確かです。「必ず死ぬ」だけでなく、ほんのちょっとした間違いや失敗で、いとも簡単に死んでしまうものです。生きていることは「死を避ける」という大変な闘いです。簡単に楽に贅沢に、ちやほや大切にさ れて生きられるということは決してありません。とにかく生きなくてはなりません。ですから「どう生きるか」と現実的に考えるのです。さらには、どうせ生きるなら、他人の役に立つように、他人に迷惑をかけないように生きてみるのです。「あなたがいてよかった。大変助かります」といわれるような人生が、実りのある生き方なのです。誰でも現実離れした妄想をしない限り、現実離れした夢を抱かない限り、簡単に実現できるのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《老いの生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【出家の覚悟日本を救う仏教からのアプローチ」南直哉氏との共著 (2009 年) p285】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
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