287 一定な「私」などいない
- sapporobukkyoujuku
- 2024年9月1日
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「変わらない私」「一定の私」などというものは、どこにもありません。心がつくりだした捏造、幻覚です。「私にはいろいろな性格があるようだ。自分ってよくわからないなぁ」というほうが本当のことです。瞬間、瞬間、変化していますから、ごちゃごちゃで、統一感がなくて、バラバラで当たり前です。そんな瞬間瞬間の自分を、まとめている〝本当の私〟がいるのではないでしょうか?」そのような考えが、世の中にはあります。なるほど、観念の世界としては、もしかしたら生け花の剣山のように、瞬間、瞬間の私をまとめる「私」がいると、言えるかもしれません。しかし、科学的にはどうでしょう? 「統合する私」のような存在があることを、論的に実証できるでしょうか? 「もしできるなら、どなたか見せてください」という話です。「もしかしたら、大宇宙のどこかで私を管理する大いなる存在があるのかもしれない」と、根拠もなく思うのでは、話になりません。「私」というのは、科学的に、具体的にものごとをみれば、妄想概念です。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6」 (サンガ新書2008年) p113】
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