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288 私が消えれば死の疑問は成り立たない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年10月12日
  • 読了時間: 1分

 「私が死んだらどうなるのか?」という質問に対して、お釈迦様は、まず「私」を発見しなくてはいけないよと教えています。そして答えも出しています。「私は、いませんよ。それは幻覚にすぎません。調べてごらんなさい」と。そこで、我々は瞑想修 行をして調べてみるのです。調べてみると、「なるほど。これが幻覚か」とすぐわかります。「私」という錯覚が消えたら、死んだらどうなるのか、という疑問は成り立ちません。「壊れたら何か現れる。壊れたら 何か現れる......」ということになるのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第5章 老病死に向き合い、人生を豊かにする《死》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【僧侶が語る死の正体 (2016年) p296】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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