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301 自我の錯覚の理解が幸福につながる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年9月15日
  • 読了時間: 1分

 関係ない他人事なら、悩み苦しみがないのです。自分のこと、「私のもの」に関することなら、ひどい悩み苦しみになります。それをお釈迦様は、ぜんぶまとめておっしゃったのです。「すべての苦しみがたった一つの言葉、『私の』というところから生まれるのだ」と。 そうは言っても私のお父さんとお母さんは、「私の」両親ですし、私が買ったブランドのカバンは「私の」カバンです。「私の」ということは消せませんから、「『私の』というその『私』とはなんぞやと客観的に調べてください」とお釈迦様はおっしゃいます。「調べれば、『私』というのは幻覚だということが見えてくるのだよ。それで心が落ち着いて究極な幸福になりますよ」という教えになるのです。 すごく大事なポイントですから、覚えておいてください。「私の」、この一つの言葉で、ものすごい苦しみが生まれます。そしてお釈迦様は、その苦しみを、ほんの少しの言葉で、すごい治療方法で解決してくださるのです。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【欲ばらないこと 役立つ初期仏教法話13 (サンガ新書018,2011年) p135】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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