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31 ニーズが少ないこと、不満を感しないこと

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年11月7日
  • 読了時間: 1分

 「ニーズ」というのは、生きるために必要不可欠なものに近寄ることです。あるものを捨てるのではなく、必要不可欠と余分という二つに、欲の対象を分けてみるのです。欲を「ニーズ」と「余分」に区別して生きる人に、「知足」という満足感が生じます。欲があっても楽しく生きられます。「知足 santutthiサントゥッティ」とは「足りていると知ること」です。「喜んでいる」という意味になりますが、満足することから起こる喜びを意味します。「知足」というのは精神的に病気にならない工夫なのです。問題はいつでも我々の心です。「不満を感じることに気をつけろ」ということです。その瞬間、その瞬間で、「不満だけは感じないぞ」というふうに決めておけば、もう完璧に安全で健康に生きていられます。精神的にも肉体的にも健康です。現代人がとても関心のある長生きを実現するポイントは、「少欲」と「知足」です。守るのは、この二つだけなのです。「少欲」と「知足」があれば、人生は安全です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《欲》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【真理のききめアルボムッレ・スマナサーラ法話選2 P188】

 
 
 

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