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319 感情で行動した結果は人類のためにならない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年10月3日
  • 読了時間: 1分

 仏教から見ると、感情で行動している限り、社会が発展しているように見えても、それは表面的なものです。その本質はかなり危ないものなのです。アメリカも自分の国を大国だと思っているようですが、経済的に強いかというとそうでもありません。豊かな人は少ないし、企業倒産もたくさんあるし、やっと生きている人のほうが多いのです。しっかりした発展があるかどうかは問題なのです。ですから、我々が欲で、怒りで、憎しみで、「あいつに負けてたまるか」という感じで頑張ると、表面的な見かけだけをつくりだし、本当の発展がなくなります。それに対して、「生命を助けよう」という気持ちのある活動は、良い結果を出します。私たちが科学のおかげで助かっている面といえば、科学者がお金を儲ける気もなく、ただ研究して頑張った結果できたものでしょう? 「人類のために」「生命のために」という気持ちになると、見事に成果が出ます。確実に社会は発展していきます。『一分で読むブッダの教え』第5章 仏教が教える「生きること」の本質《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3 (サンガ新書010,2007年) p19】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
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