top of page
検索

32 理性で欲という森から抜け出す

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年11月8日
  • 読了時間: 1分

 人は幸福を目指して生きるものです。しかし、欲にはめられたら進まなくなります。欲は迷路なのです。樹海なのです。「少欲知足」を実行すると、欲の迷路から抜けられます。感情に負ける人には、少欲知足ができません。生きるとは何かと理解する人に理性が現れて、少欲知足を実行することができます。知識ではなく理性が、あなたを幸福へと導きます。身体の限りを知って、必要なものを管理するならば、少欲知足です。欲しいものばかりを追うと、常識が破れます。欲とは満たせないものです。欲に負けると理性が消えます。余計な欲は妄想の結果なので、リミットはありません。「お金がいくらあれば、あなたは満足しますか?」と聞かれたら、金額が出ません。「いくらあってもいいんじゃない」という答えが来ます。理性がありません。たとえ夢であっても、金額で答えるならば、客観的に人生を考えているのです。わずかでも理性があるのです。具体的に考えて生活するならば、欲の迷路から抜けて幸福に達します。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《欲》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page