top of page
検索

35 エゴイストは法則違反

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年11月11日
  • 読了時間: 1分

 考えてみてください。自分が生きるために必要なすべてのものは、他人が与えたものです。自分の金で買ったのだと自慢できません。金も買う品物も他人からいただいたものです。人は一文無し、裸で生まれるものです。それからどうですか? つぶされるほどの物にあふれて生きているのではないでしょうか。すべて与えられたものです。それなのに、与えられていないものを取る愚か者もいるのです。与えられたもので命をつなぐのは自然の流れです。命は独立しては成り立ちません。ですから、人がエゴイストであるならば、その時点で命の法則を破っているのです。法則を破ると生きる権利がなくなります。エゴを捨てて、命を自然の流れに任せてください。いただいている恩恵を、自分の義務を果たすことでお返ししてください。エゴイストは世界に、社会に、会社に、家族に、友人に、他人に文句を言うのです。他人から恩恵を受ける資格を失います。理性がある人は、借りを返す気持ちで生きてみます。その人は幸福に恵まれます。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《欲》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page