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45 まっさらなスクリーンでいること

 「自分」とは、どんな映像でも映すことができる白いスクリーンでなければいけません。もともとスクリーン自体に画像があったら、どうなるでしょうか? スクリーンに青や赤、あるいは風景の画像とかが印刷されていて、派手な色がついていたら、映し出すことは可能でしょうが、何が投影されているかわからないでしょう。よく言う「自分を消す」というのは、「白いスクリーンになれ」というような意味なのです。私たちは、死ぬまで世間で過ごさなくてはいけません。生きるということは、他の生命と関係を持つことです。その都度、各生命に対して一時的な自分を投影できるようになってください。生命との良い関係の秘訣は、それだけです。外の世界、世間を直そうとすることではありません。スクリーンに貼りつけている画像(自己イメージ、自我)を消してください。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【慈悲の瞑想 (フルバージョン〕 人生を開花させる慈しみ p236】

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46 社会的な地位や名誉は「買い物袋」にすぎない

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