top of page
検索

53 「美」という偏見

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年11月29日
  • 読了時間: 1分

 「美」っていう言葉は、主観。「これこれこういう条件がそろったら美です」ということは成り立たないんですね。あくまでも人間の気持ち。だから、いくらでも変えられます。たとえば世間から「細い人が美しい」と言われ続けちゃうとマインドコントロールされて、そうなってしまいますね。日本では、背が高くて足が長い人を「かっこいい!」と言う。今はほとんどの人が足が長いもんだからあまりいわなくなっちゃいましたけど。私はそれを聞きながら「アホ」と思います。足が短くても、「この人、かわいい!」と思っちゃえばかわいいのですからね。だからそのへんを訓練しちゃえばいいんです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【生きる勉強―軽くして生きるため、上座仏教長老と精神科医が語り合う(サンガ新書044,2010年) p165】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page