top of page
検索

54 皆、「私」が一番偉いと思う

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年11月30日
  • 読了時間: 1分

 「私は、たった一つの大事な存在です」と、皆、思っています。「私は唯一の存在で偉い。だから私のことについて調べたり、私に指図したりする必要はない」と思っています。だから「私にいちいち、いろいろなことをゴチャゴチャ言わないでくれ。それが私は大嫌いだ」と思っています。それなのに「でも、私は皆に、言いたいことをいっぱいゴチャゴチャ言いますよ」と思うのです。誰もがそういう生き方をしています。誰もが自分のことを言われると嫌で腹が立ちますが、他人のことなら何の躊躇もなく、遠慮もなく、言いたくなります。この生き方は簡単に省略して表現できます。人は「悪いのは私ではなく、あなたです」という考えで生きているのです。自分は堂々と胸を張って、他人に躾をしますが、自分が何か言われると、すごく嫌な顔をします。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《自我》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6 (サンガ新書2008年) p30】

 
 
 

最新記事

すべて表示
いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる

いろいろな方法がすべて間違いであるとが実証済みとなる  解脱に達することができたのは、釈尊の説かれた観察方法を実践したからです。したがって、苦を乗り越えるためには観察実践が正しい方法であるということになります。心を清らかにするために、魂を浄化するために、真我を体験するために、などなどの目的を設定して、その目的に達するために世の中でいろいろな方法が説かれています。それらはすべて間違いであると、修行者

 
 
 
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 

コメント


bottom of page