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66 苦がなければ何一つ存在しない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月12日
  • 読了時間: 1分

 なぜ、人工的な髪の毛が世の中にあるのかといったら、それも「苦があるから」なのです。もしもみんなが「禿げると、すっごく幸せだなあ」「禿げてやっと一人前になった」と喜ぶとしたら、かつらなどが世の中に現れるはずはありませんね。みんな若くありたいのです。年を取ることを認めたくないのです。だからかつらの商売がはやるのです。この世の中、苦がなければ何一つ存在しません。もし、この世の中の何かに感謝することがあったら、苦に感謝してください。たとえば、奈良や京都に行って仏像を拝んだりしたときに、「なんてありがたい仏様でしょう」と思ったとしたら、苦に感謝してください。苦があるから仏像が現れたのですから。でないと現れません。「いろいろなものがあってありがたい」と、日本の文化に感謝いっぱいで生きているならば、苦に感謝してください。なんてすばらしいのでしょうか、ありがたいなあなどと思うものはすべて苦のおかげです。このようなわけで、dukkha(苦)が真理なのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《苦》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【苦の見方 (サンガ新社2023年) p116】

 
 
 

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