top of page
検索

66 苦がなければ何一つ存在しない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月12日
  • 読了時間: 1分

 なぜ、人工的な髪の毛が世の中にあるのかといったら、それも「苦があるから」なのです。もしもみんなが「禿げると、すっごく幸せだなあ」「禿げてやっと一人前になった」と喜ぶとしたら、かつらなどが世の中に現れるはずはありませんね。みんな若くありたいのです。年を取ることを認めたくないのです。だからかつらの商売がはやるのです。この世の中、苦がなければ何一つ存在しません。もし、この世の中の何かに感謝することがあったら、苦に感謝してください。たとえば、奈良や京都に行って仏像を拝んだりしたときに、「なんてありがたい仏様でしょう」と思ったとしたら、苦に感謝してください。苦があるから仏像が現れたのですから。でないと現れません。「いろいろなものがあってありがたい」と、日本の文化に感謝いっぱいで生きているならば、苦に感謝してください。なんてすばらしいのでしょうか、ありがたいなあなどと思うものはすべて苦のおかげです。このようなわけで、dukkha(苦)が真理なのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第1章 私たちの悩みを解決する《苦》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【苦の見方 (サンガ新社2023年) p116】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 
観察の汚れ:④ 軽安passaddhi

観察の汚れ:④ 軽安passaddhi  軽安とは、軽いという意味です。落ち着いた、というニュアンスも入っています。真夏に人が道を歩いたとしましょう。暑いし、歩いて身体も疲れているのです。それから、クーラーがついている家に入ります。ソファに座ります。今までの苦しみが消えていきます。落ち着くのです。  ヴィパッサナー修行は重労働です。集中力を保つことも大変です。身体で痛みを感じます。修行がうまく進ま

 
 
 
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 

コメント


bottom of page