top of page
検索

68 仏教を学ぶと心が柔軟になる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月14日
  • 読了時間: 1分

 仏教は「生きる」ということを学ぶのですから、歳とはまったく関係ありませんよ。何歳であっても生きているのですからね。それこそ死ぬ瞬間まで、学びつづけることができます。仏教を学んでいくと、「自分には知らないことがたくさんあるんだな」ということがわかってきます。わかってくると、知らず知らず心が柔軟になっていきます。そうすると、みんなから、「ああ、この人は、柔和でいい感じだなあ」と好かれるような人柄になっていきます。もしも仏教を学んでいて、より心が頑(かたく)なになって、頭でっかちになって、ひとから敬遠され るようになったとしたら、それは学び方が間違っているのです。生き方を学んでいないのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《仏教》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【スマナサーラ長老の仏教塾(2016年) p45】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 
観察の汚れ:④ 軽安passaddhi

観察の汚れ:④ 軽安passaddhi  軽安とは、軽いという意味です。落ち着いた、というニュアンスも入っています。真夏に人が道を歩いたとしましょう。暑いし、歩いて身体も疲れているのです。それから、クーラーがついている家に入ります。ソファに座ります。今までの苦しみが消えていきます。落ち着くのです。  ヴィパッサナー修行は重労働です。集中力を保つことも大変です。身体で痛みを感じます。修行がうまく進ま

 
 
 
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 

コメント


bottom of page