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83 無智の家に住んでいる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年12月29日
  • 読了時間: 1分

 われわれは、いつでも無智の家に住んでいます。生命の住処(すみか)は無智なのです。しかし、そのことに気づきません。 生命の実感としては住所不定といったところでしょう。あるときは「怒り」に住み、あるときは「喜び」に住んでいるような気がしています。いろいろな心の状態に住んでいるように感じているでしょうが、実際には、それは無智とい う大地の一部に過ぎないということに気づきません。みなさんが日ごろから「嫌だな」と思うこと、避けたかった不幸に出遭うこと、不愉快なことなど、それらすべての根源は無智です。そして、それをなくし、無智の不幸から身を守る命綱は理性です。生命が無智を破り、幻から目覚めて、ありのままに物事を見るには理性に頼るしかないのです。みなさん、ぜひ無智の壊滅に挑んでいただきたいと思います。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《修行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【バカの理由 役立つ初期仏教法話12 (サンガ新書045) p171】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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