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87 人格が成長しない修行は意味がない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年3月14日
  • 読了時間: 1分

 仏教は心を完成するための完全な方法を説いています。不完全な方法を試して時間を無駄にするよりは、完全な方法を実践したほうがよいです。「写経」という伝統があります。でも、「膨大な量を何年もかけて、一生懸命に写しました」と言ったところで、心は成長していなくて、ただ疲れただけで終わってしまったら、なんの意味もありません。それも一つの修行方法で、文化的にも尊いことだと皆さんは思っています。しかし、お釈迦さまがお尋ねになるのは、「その写経をしたことによって、どれくらい清らかな心が生まれましたか」という精神的なことです。その修行が尊いことには変わりはないのですが、いったい、その行いを通じてどれくらい人格の完成を目指したか、そこが肝心です。もし、「ぜんぜん変わっていませんよ」と言うなら、その修行方法はその人にふさわしくなかったことになります 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《修行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【現代人のための瞑想法 役立つ初期仏教法話4」 (サンガ新書13 2007年) p80】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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