top of page
検索

94 何かの心が生まれたら、結果の心が必ず生まれる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年1月9日
  • 読了時間: 1分

 我々は必ず、先に心に思ってから、何かを行為します。何かをすると、それによって必ず、そのポテンシャル(潜在力)が心に残ります。このポテンシャルを「業・カルマkamma」と呼んでいます。カルマは、ちょっと特別なはたらきです。心に溜まるエネルギーです。我々がいつも持っているエネルギーです。カルマが心とどう違うかと言いますと、心なら、いくらかコントロールできますが、カルマとしてのエネルギーは、それほどコントロールできないのです。これはカルマだと認識することも、なかなかできません。そういう特色があります。性格を構成しているものは、ほとんどカルマです。生まれるときにも、人格はすでにいくらか設定されています。ですから人に「あなたの性格を変えてください」と言っても、そんなことはできることではありません。本人に「あなたはどうしてそういう性格なのですか」と聞いても、本人もなぜだか分からないのです。その部分がカルマです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《カルマ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第一巻 物質の分析 p236】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page