top of page
検索

95 心の連鎖反応

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年3月22日
  • 読了時間: 1分

 人の善いところだけ見る人は、明るい心を持っていて、どんどん明るくなります。他の人々も、その人には自分が持っている善いところだけを見せるようになります。人の善い側面を見る性格の人が、他人をだます人に会う。しかし自分の見方の影響で、人をだます相手のその側面が裏に隠れてしまって、善い人間の側面を持つようになります。わかりやすくいえば、相手が善い人間か悪い人間かと決めるのは、あなたの見方です。悪い見方を持っている人には、すべての人間が悪人に見えます。慈しみの見方でいる人には、すべての生命が仲間であるように感じます。人と人の心がこのようにつながっているのです。揺るがない善い心を持っている人には、周りの人々の心も善い心に変える力があるのです。心は同じ波長で共鳴するのです。自分が悪い波長を持ってはいけないとおわかりでしょう。自分自身に悪の世界が現れるのです。善の気持ち、善の波長を持つようにすると周りの人々も助かります。心の共鳴が業の連鎖反応になるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《カルマ》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

 
 
 

最新記事

すべて表示
見清浄の成長

見清浄の成長 最初に現れる見清浄は、それほど強くありません。修行を止めたらすべて忘れてしまう可能性もあります。 見清浄を薄いままで放っておいて修行しても、次のステップに進めません。Nāma とrūpa の分離智が現れてから、その智慧に基づいて次の実践に進む必要があります。普通の実況中継で構わないのですが、「足を上げます」と実況するときは、足というrūpa の動きと、感覚変化というnāma の動きに

 
 
 
現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる

現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる しかし見清浄に達したら、これらの悩みは減ります。これらの悩みをもう少々、観てください。何か問題があります。それは「自我」が絡んでいることです。すべての悩みに「私は」という主語があります。「私がいない」という想定で実践しなくてはいけないのです。私がいない、という想定で実践できるようになってから初めて、現象がnāma とrūpa に分けて観えるよう

 
 
 
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 

コメント


bottom of page