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一来者

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月10日
  • 読了時間: 1分

一来者

 預流者がさらに修行を続けて、次の聖者のステージに達したとしましょう。そのときは一来者と言います。貪瞋痴の力が薄くなるのです。弱くなるのです。この場合、根絶はしません。死後、一回だけ人間に生まれ変われる能力を持っています。もし人間に生まれ変わったならば、かならず阿羅漢になって輪廻を終了します。一来者の一来とは、一回だけ人間界に来られるという意味です。 

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p171】

 
 
 

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