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不還者

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月11日
  • 読了時間: 1分

不還者

 一来者がさらに修行するならば、悟りの三番目のステージである不還者になります。不還者は言葉どおりに、死後、この世(人間界)に戻ってきません。浄居梵天という梵天に生まれます。そこで涅槃に入るのです。

 浄居梵天とは、聖者たちだけに開かれた特別な梵天の次元のように見えます。しかしサマタ瞑想を実践するならば、色界の四つのサマーディに達します。サマタ瞑想をしなくても、預流果に達する場合、心は色界の第一サマーディになるのです。聖者たちは死後、人間界に生まれ変わらないならば、自分たちが達したサマーディに適した梵天に生まれます。浄居梵天とは、特別な梵天の次元というよりは、梵天の中で聖者たちのグループを示す言葉だと理解して構わないと思います。分かりやすく言えば、聖者たちだけに制限された梵天のクラブハウスのようなものです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p171】

 
 
 

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