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預流者

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月9日
  • 読了時間: 1分

預流者

 見と疑という煩悩を根絶することで、預流者になるのだとテキストにあります。詳しく言えば、有身見と疑と戒禁取という三つの煩悩を根絶します。預流者は決して地獄には生まれません。人間より以下の次元への生まれ変わりは絶対しない、という意味です。預流者は死後、人間として生まれ変わる可能性があります。しかし七回までです。七回までにはかならず阿羅漢になって、輪廻転生を終了するのです。預流者にsatta-kkhattu-paramo と言います。漢訳は極七返生です。転生は七回が上限、という意味です。 

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p170】

 
 
 

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