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命は儚い

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月22日
  • 読了時間: 2分

命は儚い 命には無上の価値があるとしっかり信じてはいるものの、同時に「死ぬのは怖い」とも思っているのです。命に無上の価値があるといって強烈に執着していますが、現実は違います。命は儚いものです。あっけなく死にます。苦労して、やっと命を繋いでいるだけです。それを頭では理解することができます。しかし、気持ちは変わりません。 命には無上の価値があるという錯覚と、命はあっけなく壊れる儚いものであるという現実が、頭の中で混乱状態をつくります。気持ちと現実は正反対です。心の中で常に対立が起きているのです。この葛藤は耐えがたいものです。それで心は暴走し始めます。さまざまな妄想概念をつくって、葛藤を沈静化しようとするのです。これはそう難しい話ではありません。「身体が壊れても、魂は不滅です」「人は死後、天界に生まれます」「永遠不滅の天界があります」「人間とは、慈悲深き全知全能の偉大なる神様の作品です」「人間のことを神様は無条件で愛しています」「人々は神に守られています」などということは、よく聞く話でしょう。こうした言葉は一つとして、立証されたわけでも、理解して経験した上で言われているわけでもないのです。心の葛藤を沈静化するためのモルヒネです。俗世間の人々はその中毒になっているのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p49】

 
 
 

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