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捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月8日
  • 読了時間: 1分

捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくる 捏造する段階は、どうしようもありません。ネズミの死骸を見て、「ご馳走だ」と捏造することは、カラスにとって問題ではありません。しかし、人間がネズミの死骸を「ご馳走だ」と捏造したら困った結果になります。ですからかならず、捏造はその生命の都合に合わせて、自然に起こります。もし捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくったならば、それは仏教用語で「見解」と言います。見解はとてもたちが悪いです。「間違っている」と、はっきり言えるものです。捏造は概念です。概念は客観的な事実ではありません。ありのままの真理ではありません。捏造した概念は、嘘だとも事実だとも言えません。ただ、その生命の都合に合わせただけです。この都合とは、生存することです。生き延びることです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p77】

 
 
 

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