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後の観察

  • sapporobukkyoujuku
  • 4 日前
  • 読了時間: 1分

後の観察

 果心が終わったら、paccavekkhaṇā-ñāṇa 観察智が生じます。「自分の心に何が起きたのか」と観察しなければなりません。 サマタ瞑想の場合も、禅定に達した瞑想が終わってからは、普通の認識の流れに入ります。そのとき、禅定の中身は何なのかと観察しなくてはいけません。ヴィパッサナー瞑想は初めから、観察瞑想です。ヴィパッサナー修行の結果として解脱に達することに成功した修行者は、その禅定が終わってすぐ、特別にアドヴァイスしなくてもかならず観察を始めます。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p162】

 
 
 

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