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Nirodha-samāpatti 滅尽定 に入った場合は、心の流れが完全に停止する

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月22日
  • 読了時間: 2分

Nirodha-samāpatti 滅尽定 に入った場合は、心の流れが完全に停止する

 Nirodha-samāpatti は、普通のサマーディと違います。Nirodha-samāpatti に入った場合は、心の流れが完全に停止します。一つの心だけ続くという珍しい状況も超えています。心が止まるということは、決して理解できるものではありません。一般常識的に言えば、心が止まるとは生命が死ぬことです。修行者が前もって決めた時間が終わったら、肉体の中に再び心が現れて活動し始めるのです。この心が止まった時間は、どのように説明すればよろしいのでしょうか? 説明できません。

 心がないから、何も認識しません。心がないから、揺らぎは起こるはずもないのです。俗世間的に見れば、「虚無状態」のように見えますが、お釈迦様は否定的な単語を使われません。究極の幸福の状態、究極の安穏の状態、苦が完全にない状態などの表現を使われています。専門用語を使うならば、涅槃に入っているということです。滅尽定というこの禅定は、聖者たちにのみ経験できるものです。

 それでも滅尽定に入ることができるのは、不還者と阿羅漢だけです。さらに、不還者と阿羅漢の中でも、サマタ瞑想から得られる色界の五つの禅定も無色界の四つの禅定も必要です。ヴィパッサナー瞑想だけ実践して阿羅漢になっても、滅尽定に入ることはできない、ということになります。本当のところはよく分かりません。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p176】

 
 
 

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