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Paccavekkhaṇā-ñāṇa 観察智

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月30日
  • 読了時間: 1分

Paccavekkhaṇā-ñāṇa 観察智

 ヴィパッサナーの修行者は、悟りに達した瞬間が終わって普通の認識の心路が起きると、そのほんの瞬間あとに、心が何を経験したのか、観察してみます。Paccavekkhaṇā-ñāṇa 観察智と言います。それで煩悩が根絶されたことを発見します。解脱を経験したことも発見します。修行者の個性によって変わると思いますが、基本的にはなくなった煩悩が何なのか、と観察します。それから、まだ残っている煩悩は何なのかと観察をするのです。サマーディ瞑想のセクションでは、サマーディに達してからそのサマーディを復習するべきであるというセクションがありました。五自在という、五種類の復習をするのです。ヴィパッサナーの実践者も、五自在の復習をした方が次のステージの解脱に挑戦しやすくなります。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p155】

 
 
 

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