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Phala-citta は究極の安らぎ、安穏を感じる

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月16日
  • 読了時間: 1分

Phala-citta は究極の安らぎ、安穏を感じる

 Magga-citta 道心の次にphala-citta 果心が生まれます。解脱に達します。最後の心路で、果心は二つか三つ起きて、有分心になります。

 修行者には、上位の悟りに挑戦しないで、今までおこなってきた修行をリピートすることが可能です。リピートして経験を強める必要もあります。同じ実践をリピートすると、再び悟りの禅定に入ることができます。預流果に達した修行者が瞑想をリピートすると、再び預流果心が現れるのです。預流果の禅定が現れたということです。そのときは禅定に入っている時間だけ、預流果心が繋がって起こります。しかし、預流道心は生まれません。 

 Phala-citta 果心には、特別な仕事はありません。Phala-citta は涅槃を対象にします。その心で究極の安らぎ、究極の安穏を感じるのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p161】

 
 
 

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