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sammasana-ñāṇa 思惟智は結論を出す気持ちを持って観察する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月27日
  • 読了時間: 2分

sammasana-ñāṇa 思惟智は結論を出す気持ちを持って観察する

 簡単に説明したからといって、修行という仕事も簡単であろうと思わない方がよいです。修行者はさらに集中して、徹底的に現象のありさまを観察しなくてはいけません。『清浄道論』では、たくさんの観察の仕方を紹介しています。一人の修行者には、すべての観察方法を実践することは無理だと思います。『アビダンマッタサンガハ』テキストでは、分かりやすい方法を紹介しています。ここでsammasana-ñāṇa という新しい用語を紹介するのです。「観察する」という意味ですが、さらに観察する、詳しく観察する、詳細に観察する、繰り返し観察する、というようなニュアンスの「観察」です。この用語の日本訳は、思惟智です。

 現象を詳細に分析して観察するのは、修行者がやってきたことです。そのときは、先入観などが入らないように、客観的に何も判断せず観察する方法を推薦しました。今度は、結論を出す気持ちを持って観察するのです。お釈迦様が最終的な真理を発見したので、弟子たる修行者が、お釈迦様の達した結論と違う結論に達するはずはありません。とはいっても修行者が、結論を見いだせず足踏み状態になる可能性もあります。その問題を避けるために、お釈迦様が説かれた結論を参考にするのです。それに照らし合わせて、自分の観察修行を続けます。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p113】

 
 
 

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