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suññatā-vimokkha 空解脱

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月1日
  • 読了時間: 1分

suññatā-vimokkha 空解脱

 修行者が、魂とは何か、真の魂をどのように経験するのか、などなどの思考を持って世にあるさまざまな宗教や哲学を学び歩いている途中で、仏教にたどり着いたとしましょう。それで仏教を理解して修行します。観察瞑想が上達すると、一切の現象は無常・苦・無我であると観察していく。それで瞬間瞬間、生じて滅する現象を体験すると、普遍的で決して変化しない何か(我)は存在しない・成り立たない・あり得ないと発見します。これにより修行者の心は、一切の現象が持つ三つの本性の中で「無我」という本性に集中することになります。無我であると観察すると、思惟智が生まれます。無我という本性を対象にして、順番に種姓心、道心が生まれて、涅槃を対象にして果心が生じます。その解脱の名称は空解脱と言います。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p167】

 
 
 

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