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すべて有論の範疇 (はんちゅう)

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月13日
  • 読了時間: 1分

すべて有論の範疇 (はんちゅう) すべての生命の認識は、「有論 (うろん)」です。それが膨張すると、存在論にも、我論にもなります。それにとどまらず、実体論、有身見、絶対神論、梵我一如論、如来蔵論、大日如来(法身仏)などなども現れるのです。人は何を認識しても、何を考えても、すべて有論の範疇です。虚無論者もいるでしょう? しかし彼らが、「有」以外の何かを経験しているわけではないのです。今有るものが、跡形もなく、再生することもなく、虚無になるのだと、頭の中で概念を合成しているだけです。「有」のみを見て「無」を推測しても、正しい結論には至れません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p45】

 
 
 

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