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はじめに

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月29日
  • 読了時間: 1分

はじめに


衆生にとって、(心の)清浄に達するための、愁い悲しみを乗り越えるための、苦しみと憂いが消えるための、正理を得、涅槃を目のあたりに見るための唯一の道である、『Mahāsatipaṭṭhānasutta(大念処経)』を読んで、理解してみましょう。原文を読んで理解できるならばそれに越したことはありませんが、現代人の世界観は昔と変わっているので、簡単に理解できて納得いけそうにないのです。というわけで、うるさく感じるほど延々と、大念処経について解説いたしました。解説は決して絶対的なものではありません。色々な角度から解説できるからです。本書では、お釈迦様の教えを実践する方々に焦点を合わせて説明したのです。実践することを念頭に置いた解説なので、学術的な註釈にはならないと思います。


【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ 2016】



 
 
 

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