top of page
検索

まだ未完成だ。原始脳に繋げなくてはいけないのだと大脳が発見する

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月16日
  • 読了時間: 1分

まだ未完成だ。原始脳に繋げなくてはいけないのだと大脳が発見する

 理性に基づいて貪瞋痴のはたらきを一時的に抑えて、計画的に大脳をはたらかせたのです。それによって、今までと違った新たな神経回路システムが現れました。それから、その神経回路を原始脳にも繋げて、配線完了しなくてはなりません。それには新たに作った神経回路を適当に切ったり張ったりして、調整しなくてはいけません。ヴィパッサナーの障碍とは、そのとき起こる現象です。実は障碍ではないのです。心が苦労して育てた能力です。しかし「それだけでは充分ではない」と理解してほしいのです。さらに、配線を原始脳まで繋げなくてはいけないのです。「まだ未完成だ。原始脳に繋げなくてはいけないのだ」と大脳が発見します。それが障碍を乗り越えたことです。このプロセスさえも、もう一つの神経回路が生まれることなのです。

 この状態は、仏教心理学で五番目の道非道智見清浄に達したことであると説かれています。仏教は心の科学であって脳科学ではないので、そのような説明になります。ここでは無理をして、現代の脳科学の知識の一部を使って説明してみました。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p136】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page