top of page
検索

サマーディ瞑想は神秘の世界

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年8月29日
  • 読了時間: 1分

サマーディ瞑想は神秘の世界 サマーディ瞑想の世界は、やはり神秘の世界、精神の世界なのです。「瞑想するのだ。すごい体験をするのだ」という世界です。ヴィパッサナーを実践する人々は、その気持ちを措いて、とにかく「清浄の世界」を目指すことの意義を理解しなくてはいけません。多かれ少なかれ、人は誰でも己の心の汚れに気づいています。客観的に気づいているその汚れを徐々に落としてゆく実践方法が、ヴィパッサナーです。 まず、「瞑想して、常識を超えた神秘体験を経験するのだ」という固定概念を外すことにします。「清浄visuddhi に達する」という言葉に入れ替えるのです。清浄とは何か分からなくても、自分の心の汚れは知っているでしょう。具体的に知っている汚れをなくすことがヴィパッサナー実践であると、瞑想の定義を変えるのです。神秘的・形而上学的な考えは一切ありません。とても具体的な実践方法です。「七つの清浄」です。ヴィパッサナーによる悟りへの道、その七つの清浄をより詳しく解説していきます。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p15】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 

コメント


bottom of page