top of page
検索

ブッダは「価値」の苦しみを解除する

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月26日
  • 読了時間: 1分

ブッダは「価値」の苦しみを解除する 価値を入れる世界というのは苦しみの世界であり、切りがない世界です。なぜかと言うと価値はいいかげんだから実際にその意味があるわけではない。ダイヤが高価な価値を持つというなら、万人にダイヤが高価なものでなくてはならないでしょう。しかし、ダイヤモンドはある一定の愚か者どもだけに価値があって、子供にとっては全然価値がありません。子供に二十カラットのダイヤをあげて、これをおもちゃにして遊んでください、と言ったら、その子供は世界一幸福を感じるでしょうか? むしろ、そのへんに売っている五百円ぐらいのおもちゃをあげればもっと喜ぶでしょう。だから、価値というのはあまり論理的なものではないのです。 ものに対して、自分で色んな価値を入れてしまうからこそ、我々は大変色んな苦しみと出会わなくてはならないはめに陥っているのです。お釈迦様は、いとも簡単にその「価値」を解除するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p128】

 
 
 

最新記事

すべて表示
nāma とrūpa を区別して発見する

nāma とrūpa を区別して発見する それから客観的に確認作業を実行してみるようになります。そうなると、手を上げます、下げます、と実況するのであって、それは「私の手」という気持ちから離れています。ただ「手」という客観的な物体として観るのです。座る瞑想もこの調子でおこないます。集中力があり、客観的に確認しますから、より詳しく現象を観ることができるようになります。 手・足・お腹などは純粋な物体です

 
 
 
「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する

「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する 集中力が上がって自然に実況中継が流れるところまでくると、修行者が確認する現象も変わっていきます。本当は「現象が変わる」という言葉は、正しくはありません。今まで気づくことができなかった現象にまで気づけるように成長した、ということです。どのように現象が変わるのか、次で説明していきます。 初心者の修行には、「私」という気持ちがこびりついています。手を上

 
 
 
自然に集中することができるようになる

自然に集中することができるようになるここで知りたいのは、どんな智慧が現れるのか、ということです。これからそれを、修行者たちが体験するさまざまな現象の流れに基づいて説明します。 初心者の修行は苦労しながら混乱したままで続きます。足を上げる、運ぶ、下ろす、などを実況すると、何のためにこれをやっているのか、という疑問も生じます。もっと面白いものがないのかと、心が他の対象に走り回ったりもします。しかし負け

 
 
 

コメント


bottom of page