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ブッダは「価値」の苦しみを解除する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年7月26日
  • 読了時間: 1分

ブッダは「価値」の苦しみを解除する 価値を入れる世界というのは苦しみの世界であり、切りがない世界です。なぜかと言うと価値はいいかげんだから実際にその意味があるわけではない。ダイヤが高価な価値を持つというなら、万人にダイヤが高価なものでなくてはならないでしょう。しかし、ダイヤモンドはある一定の愚か者どもだけに価値があって、子供にとっては全然価値がありません。子供に二十カラットのダイヤをあげて、これをおもちゃにして遊んでください、と言ったら、その子供は世界一幸福を感じるでしょうか? むしろ、そのへんに売っている五百円ぐらいのおもちゃをあげればもっと喜ぶでしょう。だから、価値というのはあまり論理的なものではないのです。 ものに対して、自分で色んな価値を入れてしまうからこそ、我々は大変色んな苦しみと出会わなくてはならないはめに陥っているのです。お釈迦様は、いとも簡単にその「価値」を解除するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p128】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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