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不還者は死後、梵天に生まれ変る

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月12日
  • 読了時間: 1分

不還者は死後、梵天に生まれ変る

 サマタ瞑想を実践しないで、ヴィパッサナー瞑想のみで阿羅漢果に達するまで修行できます。預流果などの聖者の位に達する場合、心は第一サマーディのレベルに上がりますが、それは一時的であると思われます。根絶した煩悩はそのまま現れませんが、集中力は普通の五根範囲の認識レベルに戻ると思います。その場合、預流者と一来者が死後、人間界に戻らないならば、適切な天界に生まれ変わることも可能です。それでも不還果のケースは違います。天界に生まれ変わることを可能にする煩悩はありません。心が乱れる要因はすべて消えています。不還者は死後、梵天に生まれ変わります。かならず浄居梵天というクラブハウスに入るのです。こういうところは明確に結論を出すことができません。註釈書も説明していません。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p171】

 
 
 

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