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乗っていた船が壊れて沈没している

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月17日
  • 読了時間: 1分

乗っていた船が壊れて沈没している 修行者の心が、次に「滅」という現象に定着します。「壊れてもまた生まれるから」という慰めも得られなくなるのです。すべて壊れて、壊れていくのです。うたかたのようです。それまでは執着することで、生きることをなんとか繋いでいたのです。その執着が、成り立たなくなったのです。どう安心すればよいのか、術が見つかりません。そこで激しい恐怖感に襲われます。もう、修行を始めたときの人間ではありません。人格が変わっているのです。 執着をして生きている人々の生き方は滑稽に見えますが、自分の人生も激しく揺らいでいるのです。それには理由があります。それは、心の向きです。まだ、心が俗世間の方に向いているためです。たとえ解脱を目指して修行を始めたとしても、解脱とは何か、分かっていたわけではありません。俗世間の生き方と比較して、解脱という何かを推測しただけです。そして、この時点で自分が乗っていた船が壊れて沈没しているのに、浮き輪さえも見つからない状態に陥ります。このような精神状態に達することも、人格向上です。ここを経て修行者は、徐々に世間の次元を超えていくのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p46】

 
 
 

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