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仏道に決定する段階

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月23日
  • 読了時間: 1分

仏道に決定する段階

 五番目の道非道智見清浄は、理解しがたい言葉だと感じるかもしれません。言葉だけではありません。その中身もとても説明し切れないほど難しいのです。一般知識で理解できるようになんとか解説してみます。修行者の心が解脱を目指すことに最終決断するステージです。これも智慧の一つです。「解脱を決断する段階」といっても、そもそもヴィパッサナー実践を始めたときから解脱を目指していたのではないか、と思われるでしょう。俗世間的な知識で言えばそのとおりです。しかし智慧がありませんでした。仏教を論理的に理解して、納得して修行を始めただけです。もしかすると、未知なる世界に対する興味から始めた可能性もあります。そうであるならば、執着を捨てるのではなく、何かに執着するのを目的にしていたことになります。仏教は始めから、人の知識をそれほど信頼しません。知識には揺らぎがあります。信頼できるのは、真理を発見するときに現れる智慧です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p112】

 
 
 

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